増田剛三の視点 二俣川フルビット物語 〜運転免許完全取得への道〜


 交通事故加害者体験談

■ はじめに


この話は、平成8年の夏も終わりのある日、横浜市内の某所にて実際に発生した交通事故に関するものである。加害者は原付を運転していた他ならぬ私。被害者は自転車を運転していた中学生。厳格な言い方をすれば、内容的には重傷人身事故ということになる。

結論から述べれば、この交通事故に関して私は、民事上は示談成立・全額保険対応、刑事上は家庭裁判所で不処分決定、行政上は免停その他のお咎め無し、ということで済んだ。詳細は本文にて述べるが、重傷人身事故ではあるものの双方の過失割合等が考慮され、そうした結果となった次第である。

結果論としては軽微な事故と同様の扱いか、それよりも軽い扱いということになる。無論、被害者及びそのご家族の方々、また自らの両親をはじめ多くの方にご苦労やご心配をお掛けすることとなったという事実は甘んじて受け止めねばならないところではあるが、加害者・被害者双方最悪の事態に至ることなく、共に無事とは言い難いもののその中で考え得る最良の結果を得られたのは、正に不幸中の幸いであろう。

交通事故に関して、被害者側の立場から書かれたWebサイトは多々存在する。しかし、加害者側の視点からその体験等を綴ったWebサイトというものは、なかなか存在しない。加害者側の様々な心理を考えれば当然の話だが、敢えて加害者側の視点で体験談を公開することで、事故の内容如何によってはある種の被害者となり得る加害者の、ひいては被害者も含め交通事故に関わる全ての人々の一助になるのではなかろうか。……そんなことを考え、簡素な体験談をベッコアメで公開したのが1997年のこと。

その後、サイトの移転及び再構築をはじめとする諸般の事情で、体験談の公開は中断した。

今、当時の加害者である私は、フルビットという形で運転免許証を極め、それに関するWebサイトを構築している。サイトを構築する上で、交通事故の問題をどう取り扱うか。運転免許証を論じる上で交通事故は避けて通れないファクターであり、避ければ忽ち偽善につながる。特に私は、加害者の立場となった経験も有する。その事実を伏せ、単に免許の見せびらかしに終始することは何やら卑怯な気もする。それは私の信念として断じて避けたい。また、加害者・被害者を問わず、周囲で交通事故に巻き込まれた経験を持つ人々が増えて来ており、そうした人々の一助ともなるような取り組み姿勢としたい。

そのように考えた結果、一旦は公開を中断していたこの「交通事故加害者体験談」について、私の責任の下、大幅な加筆(実質的に全面改訂)の上、再公開に踏み切ることとした次第である。

この体験談を敢えてここに掲載することにより、果たしてどれだけの人々が示唆を受けるのか、それは分からない。しかし、この体験談を読んで戴くことで、各人が再度交通事故という忌むべきものについて考えて戴ける契機となるのであれば、それだけでも幸いである。


■ 1. 事故、襲来


その日。

ちょっとした野暮用のため、私は青葉区に出かけた。電車を利用しても良かったのだが、私の家から目的地へ行くためには乗り換えを二度しなければならないのである。初秋の陽気が良かったことも手伝って、私は当時愛用していた原付スクーター「ディオ」で向かうことにした。

横浜市の港北区、都筑区、青葉区、緑区界隈は私の勝手知ったる地域である。当時既に中退してしまっていたとはいえ、大学在学中はこれらの区内を通って町田市へ抜け、さらに多摩市を通ってその先の八王子市東中野まで通うという、原付にしてはかなり長距離の通学をしていたものであるし、近場ということで気晴らしにスクーターで軽いツーリングを楽しむこともあった。この日のスクーターの利用も、用事があったとはいえ軽いツーリングを兼ねていたことは言うまでもない。

よく「初心運転者期間中は事故率が高い」と言われる。当時PC-VANの某サークルに参加していた人々ならばご存知のこととは思うが、私は平成7年10月、大学への通学のために原付免許を取得した。故に、この平成8年の初秋の段階ではまだ初心運転者期間ということになる。この話を読み進めれば壮烈なる事故の話が出てくる訳だが、私はそれを「初心者の事故」と十把一からげにされることを好まない。

一概には言えないが、運転技術上の初心者としての期間は、大体3,000km程度とする見方が多いように思える。1,000kmで慣れ、3,000kmも走れば何度か危険に遭遇して「慣れに潜む危険」も分かるようになる、ということだ。既にこの時点で私の原付は13,000km以上の距離を走行していた。また平成8年6月には自動二輪中型限定免許(現在の普通自動二輪免許)も取得していたのだから、テクニック面・メンタル面ともに、完全に初心運転者からは脱却していたと考えて良い。誠に厚かましいお願いではあるが、左様、ご理解頂いた上でこの先を読み進めて頂きたいものである。

青葉区内での用事を済ませた私は、同区内を軽く流した後、帰路についた。本当は町田市あたりまで行っても良かったのだが、その日は夕立があるという天気予報だった上に実際に怪しげな雲まで出てきていたため、雨に降られるのを避けるべく、早々に切り上げて帰宅することにした。

この界隈に在住している人々ならばご存知だとは思うが、この地域、特に都筑区は港北ニュータウンと称される地域であり、片側3車線の道路が多く、それなりの交通量がある。しかもそのクルマの多くが、多過ぎる信号に止められる反動からか70km/h以上のスピードで走っている。チューンしていないノーマルのスクーターでは違反覚悟でどんなに頑張っても60km/h程度しか出ないため、この流れに乗ることは難しい。安全にのんびりと走るためには、必然的に地元の人間しか知らない裏の比較的空いている道を利用することになる。その日も私は、ニュータウン南部のまだ農地が点在する地域を通るルートを選択した。

# いずれも当時の話です。人口も大規模店も増えた昨今とは状況が異なります。

裏道と言ってもそんなに細いものではない。市が尾駅付近からしばらくは片側2車線の幹線道路である。地元関係者各位には、東名高速道路の下から泉田向、富士見が丘交差点、さらにその先へ行く道、と言った方が分かりやすいだろうか。今でこそ立派な立体交差が完成して陸運の近くの池辺町まで直結している道路であるが、当時はその立体交差が無く、富士見が丘交差点の先、今もESSOがあるあたりで行き止まりとなっていた。行き止まりを左折し、すぐ右折し、畑の中の街灯も無い細い道を行くと、やがて片側1車線の道となる。星谷の信号で中原街道を越え、その道が比較的長く続く。適度なワインディングもあり、原付で走るにはそこそこ快適な道である。

やがて、新横浜から港北インター・都筑インターへ抜ける片側3車線の幹線道路に出ようかというところで、予想通り雨が降り始めた。もっとも激しい夕立という訳ではなく、ぱらぱらと、しかし大粒の雨が落ちてきたという感じだった。幹線道路を斜めに渡り、さらに原付を走らせながら私は思った。

『むー、しばらくどこかで様子を見るとするか。本降りになりそうであるし』

半袖のシャツ一枚でスクーターに乗っていたため、私は雨に濡れるのを避けたかった。丁度その時、目の前には第三京浜の高架橋が見えていた。この道はその下をくぐっており、そこならば雨は凌げる。私は、たまたま手前にあったサントリーの自動販売機で冷たいカフェオレを購入し、雨をやり過ごすことにした。

高架橋の下で私は5分ほど休憩した後、まだすぐ本降りにはならないと判断し、出発した。思えば、この休憩さえなければ事故も起こらなかったのである。後から考えれば誠に馬鹿馬鹿しい限りであるが、実際に何かが起こる時などというものはこんなものなのかも知れない。

ここからは、丘越えである。最初に標高差15m程度駆け上がり、後はささやかなワインディングのなだらかな下りとなる。いつもならば私はその道をスクーターの限界速度ギリギリで突っ走っていたのだが、その時は雨の降り始めということもあり、路面が最も滑りやすい状況にあったため、30km/h制限の道を40km/h程度で走るという「常識的な走行」に徹していた。思えば、これが不幸中の幸いとなった訳である。

速度以外はいつものように緩やかな坂を下っていく。丘に差し掛かってから3台の対向車とすれ違ったが、他にクルマはいない。いくつかのカーブを抜けると、そこに200m程度の直線が広がった。いつもならばフルスピードで駆け抜ける直線である。路面が濡れているとはいえ、カーブでマンホールを踏んだりしない限りコケたりすることもないので、前述の通り緩めていたスピードをもう少々出そうかとも思ったが、特に急いで帰宅する必要性もないし、後ろからクルマに煽られている訳でもないのでそれはやめておいた。

道の両側には古くからの民家や畑が続いている。前方左手には建築関係とおぼしき事務所があり、その前には何やらその事務所から運び出した資材を積み込んでいる白いトラックが、歩道に片方を乗り上げるというよくある格好で止まっている。何食わぬ顔で私はそのトラックの右側をパスしようとした。その瞬間!

『おわっ!』

丁度スクーターが駐車中のトラックの最後端の右側1m程度に差し掛かった時のことである。突如、トラックの陰から小学生程度の少年の乗ったマウンテンバイクが飛び出した。


■ 2. 散る、血液


たまにではあるが、「身軽な二輪車ならば何かあってもすぐに避けられると思う」という意見を聞くことがある。往々にしてそれは任意保険に入らない理由を聞かれた際の弁解だったりする訳で、実際に私もこの事故に至るまではそれに近い考えを持っていた。だが、たとえ二輪車とはいえ、絶対に避けられない事故は確実に存在するということを、身を以って思い知らされた訳である。

手元に交通教則本を持っておられる方は是非とも見て頂きたいものだが、停止に必要な距離は速度に応じて大きく異なる。時速40km/hの普通自動車の場合、ブレーキが効き始めるまでの空走距離とブレーキが効いて停止するまでの制動距離はどちらも11mである。身軽な二輪車ならば制動距離は確かに短くなるだろうが、空走距離は人間の反射神経等の要因が直接的に絡むため、そうそう異なるものではない。仮に少しばかり短くなったとして、この場合、前方に飛び出した自転車を発見したのは駐車しているトラックの最後端と大体並んだ位置。予想されるヒットポイントまでの距離は、約4m。如何ともし難い。

『間に合わん、当たる!!』

相手がトラックや自動車であればそれまでの人生の思い出が走馬灯の如くよぎるところだろうが、相手が自転車ということもありそれは無かった。また、人間というものは事故の直前スローモーションの世界に突入するという話も聞いたことがあるが、私に限ってそれも無かった。

そして、衝突音。当たり前のような、衝撃。

見事に吹っ飛ばされた私は、肘と膝のそれぞれ一箇所ずつを地面に擦り付けながら衝突地点から3m程先の地面に叩き付けられた。痛い、が、特に骨折等は無さそうだ。スクーターはさらに先に転がった。

「大丈夫!?」

起き上がりながら振り返り、反射的にそう叫んだが、歩道の縁石に顎から叩き付けられたらしいその少年からは返答が無い。駆け寄って確認してみたが、意識はあるものの、どうやら大丈夫な状況ではないらしい。この少年の後ろに続いていたらしい自転車の二人の少年も、ただボーッと立ち尽くしている。

「すみません、救急車お願いします!」

荷物の積み込み作業を止め、呆然と事態を見ていたその事務所の人間に私はそう叫んだ。慌てて一人のおばさんが事務所のドアを開き、中の事務員に何か言った。

事故ってみなければわからないものの一つに、事故に当事者として直面した際の冷静さというものがある。動転して逃走を企てる極端な例は除くとしても、特に明確な被害者が目の前に存在する場合、混乱してパニック状態に陥ったり、支離滅裂な状態になったりする人間もいる。幸いにして私は、現場の誰よりも冷静だったが、それが故に残酷かつ細かな凄惨劇まで記憶に残す結果になった。

衝突後、この少年が歩道の縁石に顎から叩き付けられたらしいことは前述した通りである。さして待たないうちに、予想通り口からの出血が始まった。続いて、予想の範疇には全くない耳からの出血も始まった。恐らくは動脈から出ているのであろう滑らかな粘性を有するその紅蓮の液体は、縁石に滴り落ち、さながら赤い花びらを散らすかの如くまず広がり、さらに5cm程の幅で流れ始めた。

『まずいな……脳に影響があると厄介なことになる』

私はそんなことを考えながら、ただジッと事態の推移を見守りつつ、救急車の到着を待った。正直なところ、アタマを強打している被害者少年の姿を見て、「市原」という言葉が浮かんだりもした。

なお、多少余談になるが、教習所などで課程の一つとして教えられたり、たまにクルマやバイク関係の雑誌に掲載されたりする「人命救助法」程、役に立たないものはない。今回のようなケースの場合、意識の確認はできるものの、脳内出血の可能性もあるため無闇にアタマを動かすことも出来ず、身体についてもどこが骨折しているのか不明なため動かしようもない。下手に触れば事態が悪化する可能性すら存在する。教習所などで教えているような淡々とした救助方法など、全く通用しないのである。

# 註、二種の応急救護ならば何とか役に立つかも知れない。

そんなことにやきもきしながら、長い待ち時間が流れていく。相変わらず少年の口と耳からは出血が見られ、歩道の縁石には幅6cm、長さ30cm以上の血糊がベットリと付着している。

おそらくは事故の音を聞きつけたのであろう、近所の暇そうな婆どもがウゴウゴとやってきたが、何をするという訳でもなくただ口に手を当ててしかめ面をしているだけである。口では隣の同類に「かわいそうにねぇ」だの何だの言っているが、ゴタゴタを見るワクワク感、野次馬根性が見え隠れしているのは明らかである。

……パニックに陥った人間がこんな連中の視線を浴びたらたぶん収拾不能になって取り乱したりするんだろうなぁ、などと思いつつ、能面のような顔をして救急車と警察を待った。


■ 3. 静止した時の中で


パラついていた雨はやんだが、まだ空はどんよりと鉛色をしていた。

事故原因の一つとなったことが明らかな事務所前の駐車車両は、あっという間に消えてしまった。本来ならば事故現場を保存するという観点からも逃がすべきではなかったのだが、駐車禁止の場所でもないので制止することも出来ず、さっさとどこかへ向かって走り去ってしまった。もっとも、事務所の人間はまだ現場にいるし、他の目撃者も多数存在するので私の不利になることはないだろうが。

少しすると、こうるさくも役立たずな婆どもとは一線を画すような風格のおばさんが歩道の方から近づき、事務所の人間や他のおっさん連中と同様、まず少年に「大丈夫?」と声を掛けた。大丈夫ではないのは見れば分かるだろうが、まあ気付けという意味もあるので私は黙って見ていた。が、次にそのおばさんはソッと少年のアタマを持ち、身体を仰向けにした上で自分の膝に少年のアタマを乗せた。

「動かさない方がいいのでは?」

私を含め何人かのおじさん連中がそう言ったが、そのおばさんは、

「大丈夫でしょう」

と言って、そのまま少年のアタマを膝の上に乗せ続けた。少年がうめき声などを挙げないところを見ると特に問題はないようだし、ひょっとしたらこのおばさんは昔看護婦か何かで若干の実用的な救命の心得を持っているのかも知れない。私はそれを見守った。

「それにしても救急車、遅いわねぇ」

「お寺さんの近くって言えばわかりそうなものなのにねぇ」

見ているだけで全くの役立たずの婆どもがそう雑談を交わしはじめた頃、ようやく遠くで「救急車が、左にまがります」という救急車備え付けの自動アナウンスが聞こえた。

事故発生からおよそ6分、ようやく救急車が現着した。見ると地元の消防署の車両である。一般車両でも大体6分で着く距離を緊急車両が6分掛かってどうする、と思ったが、ひょっとしたら混む通りを使ったのかも知れない。それはそれで道路事情を把握していないということになるので若干の問題を孕むのだが、ともかく、今回の場合は一分一秒を争うという事態でも無かったので、何も言わずに作業を見守った。

ふと、道路の反対側を見ると警察の車両が到着していた。気づかないはずである。そこにいた警察車両とは、ホンダの「スーパーカブ」派出所仕様、1台だけである。一応、警察の制服を着たおっちゃん(階級章によると巡査長)が荷台の黒い箱の中に手を突っ込んでガサゴソやっていたが、やがて書類と台帳を持ち出して、私の方へ向かってきた。

『おいおい、まさか派出所の警官一人で事故処理する訳ではないだろうな?』

当惑した。だが、これが杞憂であることを後で大いに思い知らされることになる。

「とりあえず、免許証だして」

いかにも東北出身という感じの巡査長氏(実際は県央地区あたりなのかも知れないけれど)が、比較的のんびりとした口調でそう言った。言われるままに免許証を渡す。

「あと、車検証……」

「あの中に入っているんですけど、出していいんですか?」

2m先に転がって腹を見せているスクーターを指差して私が言う。シート下のトランクを開けて中から書類を取り出すにはスクーターを起こさなければならず、それは現場保存という観点から好ましくないことになる。

「あ、じゃあ後でいいや」

予想通り巡査長氏はそう答えた。続いて、事故の概況を説明する。

巡査長氏に大体の説明をした頃、被害者の少年の担任を自称する胡散臭い男が現れた。いや、教師であることは間違いないのだろうが、いかにも公立校で薄給を受けつつも日教組の活動に従事しているような風貌の、平たく言えば私が嫌いなタイプの人間がやってきた、と言った方が良いかも知れない。

その男、何やら妙な義務感を漂わせつつしゃしゃり出てきた挙げ句、警官もまだ事情を聴取していない目撃者の少年(被害者の後ろを自転車で走っていた友人)からのみ事故当時の状況を聞き、携帯電話で学校と被害者の家族に連絡していた。さすがに目撃者の生徒たちは私が巡査長氏と話をしつつそちらを見ていた(睨みをきかせていた)ので「妙なこと」は言わなかったが、どうも雰囲気から察するとその担任とやらはそうした「妙なこと」を期待していたようである。当然、学校や家族への連絡内容は、「自転車に乗っていてバイクに跳ねられた」という、少年側の過失については全く触れない内容だった。(苦笑)

こういったタイプの人間は、事故に限らずゴタゴタが発生すると必ず出現する。プロ市民型とでも言おうか。本人は正義のつもりだろうが、潜在意識レヴェルで別の目的を持っていることが多い。……まあ、余程直接的に「妙なこと」を言い出さない限り、無視しておくことが最良であるのは言うまでもないが。

この男の出現により私が得た収穫は、少年が小学生ではなく中学生らしいということ、地元の子らしいということ、母子家庭で母親は仕事に出ているということ。それだけでも一応は役に立った。

少年を担架に乗せて救急車に搬入すると、救急隊員は車内の電話でセンターとおぼしき場所に連絡していた。搬送先がすぐには決まらず、しばらくして決定した。

「病院どこ?」

「S大病院」

巡査長氏の問いに、隊員がそう答えた。……かなり遠い。恐らくは、救急車でもここからゆうに20分はかかるだろう。それでもなおそこに運ぶということは、つまり近隣の病院が満杯か、或いはその病院の設備でなければ不安な状況なのか、どちらかということであろう。黙って走り去るのを見送った。


■ 4. 男の戰い


やがて、遠くでサイレンが聞こえたかと思うと、警察署から来たのであろう警察車両の大名行列が現れた。内訳は、パトカーが3台、ワゴン車1台、「事故」などの文字を車両上の電光掲示板に表示させられる特殊車両が1台である。ことここに至ってようやく大事故であるということを認識させられた気がした。

本来ならば自分を逮捕するかも知れない警察の到着ということで多少なりともビビるべきところだが、不思議とそれは無かった。むしろ安心したと言った方が適切な心境だった。

パトカーから複数の警官が降りてきた。そのうち一人が、それまで事務所の人間が行っていた反対車線利用の交互通行の交通誘導を行い、もう一人の壮年の警官が派出所の巡査長から事情を聞いている。他の警官はワゴンから器材を持ち出していた。

やがてその壮年の警官が私の方へ歩いてきた。自然と階級章に眼をやると、葉っぱの部分が金色でのマークは一つ。どうやら警部補のようだ。

「えーと、飛び出し?」

意外なほど軽いノリで、事情聴取が始まった。気楽に話せることは話せるが、時間を追うごとに増えて今や十数名になっているギャラリーの視線を感じる。これが人通りの多い道だったらもっと多いだろうなぁ、なとど思いつつ、淡々と状況を説明した。

こうした状況では、警察にせよ何にせよ、臆することなく率直に事情を説明することが肝要である。特に相手が友好的な態度をしているのであれば、こちらも友好的かつ素直に応じるべきであろう。心象をよくしておいて損はあるまい。ぶーたれたり、馬鹿な関係者を非難したりするのは後からでもできる。

まず第一に説明したのは、「トラックの陰からの飛び出しによる事故」ということである。そのトラックは既に勝手に移動していたため現場にはいなかったが、白い荷台付きのトラックで車高は3m程度、歩道に乗り上げるようにして止まっていたため当然その先の歩道にいる自転車には気が付かなかった、と説明した。この件については目撃者の少年らも証言してくれた。警部補氏はその少年に「向かってくるバイクが見えたか」と聞くことで、私からの少年たちの視認の可否を暗に聞いていたが、少年は「見えなかった」と答えていた。

次に警部補氏は、事故当時の私のスクーターの速度を質問してきた。私は一瞬『30km/h制限か。まずいかなぁ?』と思いつつ、正直に、

「40km/h。10km/hオーバーです」

と答えた。余程私がバツ悪そうに言ったように見えたのか、警部補氏は苦笑しながら、

「そのくらいはイイんだよ」

と言った。よくはないと思うのだが。まあ軽微な違反の範囲であるならばそれも良いか、と思いつつスクーターを見たら、ご丁寧にもメーターがしっかり40km/hを指したまま止まっていた。私はそれを何よりの証拠として示し、警部補氏も納得した。

ブレーキ痕が見られないことも言われたが、飛び出しに気が付いたのがトラックの最後端に並んだ頃ということで、当然という結論となった。ブレーキ痕がないとはいえ、やはりスクーターのテールランプは赤々と点灯していたので、取り敢えず掛けようとしたことだけは分かってもらえたことと思う。

やがて、停止しているトラックの回避方法の話が出た。私は「だいたい1mから2mの間をあけるつもりでパスしようとした」と回答したが、警部補氏は、「飛び出しがあるかも知れないと考えて、対向車がないのだから反対車線に出てでも回避するべきだったんだよ」と答えた。

# 註。フルビット免許証を持つ今としては、警部補氏の見解は当然のものと思量。

『あんた無理言うんじゃないよぉ』と強烈に思ったが、現行法上では、特に自転車や歩行者に対してはそこまでの注意義務を「払ってやる」義務がある以上仕方が無い。この警部補も、それが普通は無理なことであり、パトカーなどでも同じ状況に置かれれば避けられない事故であることが分かっていても仕方なく言っているのだろうと考え、潔く、しかし内心しぶしぶ非を認めた。

事情聴取はそんなところで滞りなく終わったが、他の警官たちは現場にチョークで線をひいたり、写真を撮影したりしていた。ご苦労様である。件の変な教師は何やら物足りないような顔をしていたが、大体考えていることは手に取るように分かったので放っておいた。まあ、せいぜい頑張って頂きたい。(苦笑)

最後に「車検証見せて」と言われた。写真撮影や線引きなどが一通り終わり、スクーターも立たされている。スクーターのシートを上げてトランクの中から書類一式が入った袋を出し、車検証を探す。……無い。マズイっ!……って、無いのは当たり前である。原付に車検証などはない。代わりに自賠責保険の証券を警部補氏に渡すと、何か書類にメモしてすぐに返してくれた。

これにて警察の事情聴取と現場検証が一段落。事情聴取と現場検証が終わるのを見計らったかの如く、再び雨が降り出した。警官の一人が、歩道の縁石にベットリとついた血糊を水道で洗い流している。血糊は、流石に花びらのように簡単には流れない。何度もブラシでこすっていた。

ここで私は、保険会社に連絡をすることにした。

『そーいえば、更新のお知らせが来ていたっけ。階級が一つ良くなるという部分を見て「事故ったら逆に下がるなぁ」と笑っていたけど、本当に事故ったなぁ』

そんなことを考えながら、事務所のドアを叩いた。保険会社に連絡したい旨を伝えると、その事務所の人は快く電話を貸してくれた。任意保険の方の証券(と言っても自賠責と同じ会社だが)に記載されている番号に電話を掛ける。番号を見ながら、

『0425……立川か。遠いなぁ』

などと思った。このスクーターは大学生協と提携しているバイクショップで購入したものであり、保険は大学生協内の保険屋で契約させられていたのである。

敢えてどことは言わないが、保険屋の中には実際に事故った際の対応が悪いところも存在する。だが、幸いにも私が契約していた三井海上は結構良い方で、電話を掛けるとすぐに担当の部署に回され手続きをしてくれた。この後保険については3日程立川センターで扱われたが、やはり遠いため横浜に担当が移った。どちらも対応が良かったことを感謝を込めて付記しておく。


■ 5. 雨、逃げ出した後


電話を貸してくれた事務所の人々に礼を述べ、外に出てみると、これでもか、という程の集中豪雨だった。だが、私が驚いたのはそんなことではない。

『誰もおらんではないか!』

これは予想外である。これだけの事故をやっていれば、めでたく逮捕歴がつくか、或いは任意同行か、いずれにせよパトカーに乗せられて警察署へ直行と内心覚悟していたのだが、誰もいない。当然野次馬も消えていれば、あの変な教師も他の生徒たちもいない。フロントを大破したスクーターがポツンと置かれているだけである。これでは何をしたら良いのか分からない。

仕方がないので警察署の交通事故係に連絡をいれた。電話の向こうの警官いわく、

「んー?誰もいないの?」

のんびりと聞いてきた。だからそう言っているというのに……。

「じゃあ、後で出頭してもらうことになるけど、取り敢えず帰って構わないよ」

「わかりました」と言って電話を切ったが、どうにも釈然としないものが残る。ちと、ローカル過ぎるのではなかろうか。(笑) 仮にも350万都市の主要区の治安を担う警察署である。もう少し洗練されていても良いような気がするのだが……。まあ、帰って良いなら帰ってしまおうと思い、外に出た。

相変わらずひどい雨だったが、トランクの中から雨合羽を出して肘の傷の痛みを堪えながら着込んでいると、1台のパトカーが来て停まった。

『乗せにきたのかな?』

ふとそう思ったが、ドアも開けず窓だけあけて顔を覗かせた警官は先程の現場検証の際にいた警官たちの中には無い顔だった。ただ、事故の件は知っているらしく、

「それ、乗れる?」

と聞いてきた。乗れる、とは乗って帰れるかということだろう。当然免停と考えていた私は、

「えっ? 乗っていいんですか?」

と聞いた。すると「構わないよ」との御回答。ほんの少し前まで『逮捕。連行。カツ丼。拘留。もしかしたら市原で味噌・醤油作り』と考えていた身にしてみれば何やら不可思議な状況に叩き込まれた感がある。もっとも後から調べたところによると、法的には「免停仮処分」を受けていない限り正式処分が下るまでは乗っていても構わないのだが。

「じゃあ、気をつけて」

パトカーが去っていった。まるで私を追い立てるように、いよいよ雨の降り具合が激しくなってくる。

キーを入れてエンジンをかけてみる。かからない。当たり前である。衝突のショックを受けた上にあれだけ長い時間転がっていれば、キャブレーターの中のガソリンはなくなりすぐにはエンジンがかからなくなる。万が一キャブが壊れていれば絶対にかからないだろう。豪雨の中でそう考えると、パトカーに乗せてもらった方が良かったかなぁ、などとも思えた。

だが、やがてエンジンが掛かった。乗らずにアクセルを回して動かしてみると、フロントフォークが曲がって前輪と車体がこすれているものの、何とか乗れそうな状況のようである。私は何とかその半分以上壊れかけたスクーターで帰宅の途についた。

……壊れかけたスクーターで行く豪雨の下の家までの道程は、それはそれは長く感じるものだった。前輪と車体がこすれているためスピードも出せず、カーブでの曲がり具合も妙であり、また事故の際の衝撃からメーターやライトは壊れ、無残な状況であった。自分の肘と膝からは流血しているし、気が付くとどうも左手も強打していたようで、雨に打たれて結構痛む。余程パトカーに乗せてもらった方が良かったのではないかなどとも考えつつ、普段ならば5分少々で着くところを15分以上かけて帰宅した。

家に帰るとまず親に事故の報告をした。ま、嫌な瞬間の一つではある。(苦笑) 最初はそれなりに驚いたものの取り乱すことがなかったのは流石と言うべきだろうか。

しばらく親と「見舞いに行かなきゃねぇ」などと話していると、電話が鳴った。当然、私が出た。やはり相手は先程の警部補氏だった。

「相手の怪我の具合だけど、こちらで聞いてみたら軽いってさ。良かったな。あ、それと今日はもう警察も仕事終わりで明日事故の調書とかを作るから、明日の朝9時頃に交通事故係の方まで来てな」

と、言うことだけ言って電話は切れた。午後5時で終わってしまう警察というのはなかなかローカルな話ではある。まあ、調書の作成などの事務的な作業だけを打ち切るということだろうが、それにしても、とも思う。

ともかく、怪我の具合が「軽い」らしくて良かった良かった。事故当時の状況を考えるにつけ「軽い」とはちょっと考えられないような気もしたが、警察がそう言っているのだからまあ軽いのだろう、などと考え、また親と話しつつ、しばらく時を過ごした。思えば、この判断もちょっとしたミスだった訳である。

だが、やはり少し疑問に思った私は、念のためということでS大病院に電話を入れた。

ここから先の話については、おそらく賢明なる読者諸氏であれば大体察しはつくことだろう。警部補氏の話では怪我の程度は「軽い」ということだったが、それはあくまでも交通死亡事故や意識不明の重体という状況を日常的に見ている人々の尺度で言うところの「軽い」であり、一般人である我々から考えると「軽い」どころかかなりの「重傷」だった訳である……。

このあたりの行き違いについては、私にせよ警部補氏にせよ、大体でも良いから「全治○週間」という数値として情報を交換しなかったことにより発生したものである。今後がもしあれば、気をつけよう。

ここで初めて、被害者少年の母親と会話をした訳であるが、最初こそ努めて冷静に振る舞っておられたものの、こちらがあまりにも冷静に話を進めたことが引き金を引いてしまったようで、途中でその母親の姉(要するに被害者少年の伯母)が受話器を取って比較的冷静に話をしなければ収拾がつかないようになってしまった。事故った時には冷静たるべし、と前に述べたが、被害者サイドと話し合う際には、冷静過ぎるのも考えものらしい。もっとも、事後的に考えるとこれはこれで良かったのかも知れないが。

# そもそも私が冷静に話すとある種の官僚的な冷酷さを伴うというのも、問題だったのかも知れず。

途中で親が電話を代わり、これから見舞いに行くということで話がまとまった。

S大病院はかなり遠い。地図的にはそう遠くもないのであるが、スクーターという足を奪われた以上、電車で行くより仕方が無い。電車で行くとなると、東急線だけで行く場合は都内経由で2回乗り換え。JRを使用すれば市内の移動で済むがやはり2回乗り換え、という位置に存在している。

# 当時は大倉山在住です。ここまで書くと病院名を伏字にする意味がない気もしますが。

ともかく、私は親と一緒に病院へ向かった。やはり補償のことなどが気になったがそれはちゃんと保険会社に連絡しておいたので深刻に考え込むことは無かった。無い袖は振れぬし。

病院へ着くと、まず1階の受付で病室はどこか尋ねた。よくよく考えてみるとまだオペ中かICUで観察中のはずであり、病室を聞くのも間抜けな話と言えたのだが、とにかくそう聞いた。ところが窓口の事務員はスンナリと答えない。先程病院に電話をした際も、まず病状を聞いたのだが教えてくれなかったことを併せて考えると、ここの病院は守秘義務についてかなりうるさく指導されているらしい。

それはさておき、受付でその事務員と少し話をしていたところ、何とその事務室の前の狭い待ち合わせ所にいる数名の中年男女が被害者の家族や親戚であるということが判明した。向こうから頭を下げてきたのでこちらも慌てて頭を下げる。

電話の時とはうって変わって、先方も落ち着いていた。取り敢えずお詫びをした上で、状況の説明を受けた。それによると、やはり「軽い」というのは大嘘で(これについては警察の言い方による齟齬として先方にも納得して戴けた)、縁石に顎から墜落した際にコメカミ付近を複雑骨折し、骨片が外耳道を突き破ったらしい。脳内についてはCTを撮ったところ取り敢えず問題は無いものの、これとは別の手足の骨折と併せて全治にはかなりの期間を要するとのことだった。瀕死とまではいかないものの、完全に重傷である。

原付にしては珍しく(?)、私がちゃんと保険に入っているということがわかり安心されたのか、最後の方はそんなに固い雰囲気でもなく「自転車は危ないから注意しろと言っていた」などの話も聞かれた。私自身も過去自転車を乗り回して横浜市北部を遊び回っていただけに、何となく感じ入るところがあった。そして、最後にもう一度丁重にお詫びをした上で、一時はどうなることかと思われた第一次お見舞いを終えた。


■ 6. 過失割合の選択を


当日は、帰宅して夕飯を摂った後、いつもの通りPC-VANで数時間活動した後、泥のように熟睡したことを記憶している。なお、敢えて何方とは言わないが、当日に限らずPC-VANで私を励ましてくれた人々に対し、この場をお借りして厚く御礼申し上げたい。

翌日、指定された時間に港北警察署へ自首……もとい、出頭した。老けた面をしているものの一応、未成年であるので、当然親に同伴してもらうことになった。全く、ご面倒をお掛けしているものではある。

警察署へ到着して建物の中に入ると、昨日のローカルな対応が裏付けられたような気がした。県内で最も110番の通報件数が多い地域を管轄している警察署の割には、県内のどの警察署よりもボロボロであり、狭い。交通事故係の部屋に至ってはさらに惨澹たる状況であり、従業員6名程度の零細企業の事務所のような広さの部屋の中に机と椅子が並べられ、十数名の警官と、おそらくは何かやらかして呼び出されたのであろう茶髪のにーちゃん(笑)たちでゴッタ返していた。

近い将来、管轄地域のうち北西部を管轄する新しい警察署が設置される予定とはいえ、これはあまりと言えばあまりの状況である。建て替えくらい検討されているのだろうか?

# 註。当時の話です。都筑署は既に稼動しています。港北署は従来通りの建物ですが。

入り口で来訪を告げると、その場立ち空間のいちばん奥の方の、昨日の警部補氏の席に案内された。

「おー、来たか来たか。まあ、その椅子に座って」

何か書類を扱っていた警部補殿はそう言うと、机の中から別の書類を取り出し、他の机と同じように乱雑な机の上に置いた。一応取り調べだが、どうやら別室ではなくここでやるらしい。私は、恐らくは1,000円程であろう折り畳み式の安っぽい椅子をその机の前に置き、通行の邪魔にならないよう遠慮がちに座った。

親は廊下で待っていた。後から聞いた話では、署内の掲示板を見て歩いていたそうである。「ゴルフ大会のお知らせがあった」などとのたまっていたが、まあ何と呑気なことであろうか。(苦笑)

「じゃあ、これからキミを『ぎょうむじょうかしつしょうがい』ということで調書作るから。質問に答えてな」

罪名の部分の発音がかなり怪しく一瞬聞き取れなかったが、他に罪名は無いことだし、素直にハイと答えて調書作成に臨んだ。

私はそれまで、警察の調書というものは警官が聞き取ってマッサラな調書用紙に要点を書き込んで行くものだと思っていたが、交通事犯については別のようで、さながら「猿でも書ける調書フォーマット」の如きものだった。(注;警部補氏が猿みたいだったということではない。あくまでも用紙の話である)

即ち、調書というものは被疑者の供述を記入するものだが、たとえば「私は_月_日_時_分頃、__町__番地付近の__道を……」という具合になっており、虫食い部分に数字や単語を追加するだけで調書が出来上がるようになっていたのである。恐らくあまりに交通事犯が多いため、こうでもしないとやっていられないのであろう。刑事課の調書用紙を見てみたいという気もしたが、頼むのもナニであるし、将来捜査二課あたりで見る機会があるかも知れない(汗)のでやめておいた。

調書作成といっても、警部補殿が調書に書き込みながら朗読するのをハイハイと追認するだけである。相変わらず場立ち状態の狭い部屋の中、隣では茶髪のにーちゃんと若いお巡りちゃんが激しく睨み合い時折口論しながら何やらやっていたが、それを尻目にこちらはスムーズに話が進んでいった。

# 今にして思うと、『踊る大捜査線』のこんなシーンの演出も、あながち外れてはいないかと。

最後に、警部補氏から「ここは自分で書き入れて」と言われた箇所があった。そこは、「この事故における私の過失は  %くらいだと思います」という文だった。何ということはない文章ではあるが、あまり低いパーセンテージを書くとまるで反省していないように受け取られてしまいかねず、逆に高く書くと自分に不利になるような気もしてしばらく考えていたが、「適当でいい、自分が思った通りで」とのありがたい後押しのお言葉を賜ったので、堂々と30と書き込んだ。大意要約すれば、相手が悪いということである。この数字が妥当なものであったかどうかは、後で確認されることとなった。

調書作成は終わり、親を交えて雑談(訓戒のようなモノではなく本物の雑談だったような……)をした後、事故証明書の申請用紙をもらって警察署を後にし、その申請用紙を郵便局で使って申請&手数料振込をして、帰宅した。残念ながら、カツ丼などは全くそれが出てくる余地すらなかった。


■ 7. 奇跡の価値は


事故の2日後、つまり警察での事情聴取の翌日には、保険会社の担当者と連絡を取り合い共に病院へ向かうことになった。立川から横浜への担当センターの移管に伴い一日遅れたとは言え、某損保屋に比べると格段の対応の早さである。

最初、私は担当者のクルマで病院まで行くのかと思っていたが、彼らは通常電車で動いているらしく、途中の地下鉄N駅で待ち合わせることになった。考えてみれば、自動車事故に遭ってフンフン唸っている人間に会いに自動車で乗り付けるというのもどうかと思える。そんな計算もあるのだろうか。

保険会社の事故処理担当者ということで、私は捜査四課のお客様のような人を勝手に想像していたのだが、待ち合わせ場所として指定していた事故現場近くの市営地下鉄の駅の地上ホームに現れたのは、ごく普通の壮年期に入ったばかりの量産型のおじさんだった。早速親と共に地下鉄に乗り、移動しながらその中で簡単に打ち合わせをすることになった。

最初は形式的な労りのお言葉を頂戴して恐縮したものだが、後は終始和やかに話が進んだ。途中、時間が少々余ったため乗り換え駅であるA駅構内の喫茶店に場所を移して打ち合わせが行われた。

まず、これから必要となるものなどをまとめた書類が渡され、それを元に大枠の説明が為された。大体予め理解している話だったが、やはり、民事上の賠償は全て行うとか、たとえ交渉がこじれて裁判になっても最後まで保険会社が責任をもって対処するなどという説明を改めて聞くと、大いに安心できた。そして、お見舞いなどの話をした後、いよいよ過失割合の話になった。

ご存知の方もいらっしゃることと思うが、交通事故というものは通常の事故とは異なり、どちらか一方に全面的な過失があるというケースは極めて稀である。たとえば今回の事故の場合、私の側には、多少納得できないものの「自転車の飛び出しを予測できなかった」という過失があり、少年側には「トラックの陰から安全確認を何ら行わず車道へ飛び出した」という過失がある訳である。こうした場合、民事上の損害賠償等については、両者の過失の割合に応じて、たとえば被害者とされる人間の過失が3割の場合は賠償されるべき損害額から3割を差し引く等の形で処理される。つまり、過失割合こそが交通事故を民事事件として捉えた場合に大きな影響を持つことになるのである。

さて、肝心の過失割合の決定であるが、これはマニュアルに沿って行われる。日弁連だかどこだったかは失念してしまったが、何らかの法曹関連団体が編纂したマニュアルを保険会社は持っており、それにケース別で記載されている過失割合を基に話を進めるとのことだった。そして曰く、

「今回の事故は、双方50%ということで話を進めたいと思います」

おいおい、待て待て。私は警察の調書に「私の過失は30%くらいだと思います」と書いてしまっている。反省が足りんということになるではないか、などと思ったが、続く説明でこの杞憂は消えた。

実際に私もそのマニュアルを見せてもらったのだが、どうもこのマニュアルは普通自動車を基準として書かれているらしく、原付が飛び出し自転車を跳ねるという今回のケースはカバーされておらず、やむなく普通自動車が飛び出した自転車を跳ねるというケースを基に過失割合を決めなければならないらしい。

普通自動車が飛び出し自転車を単純に跳ねた場合の過失割合が、双方50%。これに、警察では問題にされなかった10km/hオーバーの速度違反が「重過失」として扱われ加算されるものの、普通自動車ではなく原付ということで大幅に差し引かれ、本来ならば被害者側の過失の方が大きいものとして処理しても良いところを、相手方の被害の度合いが比較的大きくあまり厳しく扱うのは人道上問題があるため、50%ということらしい。要するに可哀相だから50%で扱ってあげよう、ということである。

私が警察の調書に記した30%という数字も、あながち的外れなものではなかったということになる。

病院につくと、既に少年はICUから一般小児病棟へ移されていた。その病室の前で、少年の母親にも今述べたような説明が為されたが、さすがに配送というクルマを使う仕事をしていらっしゃるだけあって、比較的スムースに理解していらっしゃったようである。取り敢えず、一段落というところであろうか。なお、保険金の支払いについては一部を除き、完治後ということになった。

蛇足だが、交通事故の過失割合の処理においては、通常交通行政においては同じ交通弱者の枠でくくられやすい歩行者と自転車が、明確に区別されている。前述したような普通自動車が飛び出した者を跳ねたケースでも、自動車側の過失割合は、相手が自転車ならば50%だが、歩行者ならばこれが90%に跳ね上がる。それだけ、自転車の運転には責任を持ち注意を払ってしかるべきものということになるのだが、果たして世の自転車乗りのうちどのくらいの方が、こうした事情を把握しているのだろうか。ヨタヨタと自転車に乗っている爺さん婆さんやアタマのネジが多少外れているとしか言い様のない乗り方をしている中高生風情を見ていると、とても把握しているとは思えないのだが……。


■ 8. 守銭奴の造りし病院


保険会社の担当者との打ち合わせや、彼を交えた少年側との交渉の中で、私はあることに非常に腹を立てたものである。その怒りの対象は少年側でも無ければ保険会社を含む自分たちの側でもなく、医学というものを大いに利潤追求の道具として使い、患者の無知に付け込んで金銭をボッたくろうと試みる、この上なく腐敗して堕落した病院という組織だった。

この項では、いかに病院という組織が不幸にも交通事故により負傷した患者に対して「悪徳商法」を仕掛けるのか、また患者や加害者としてどう対処するべきか、少し脱線して述べてみたいと思う。

交通事故では健康保険は使えない。これは、比較的知られている話である。確かに健康保険証を見てみると、業務による負傷には使えないという一節が記載されている。ここで言う「業務」とは法律用語としての業務であり、たとえ運転をナリワイとしていない者でも車輌等の運転はそれ自体が危険を伴う「業務」と見做され、この一節が適用されて健康保険による診療は受けられなくなることになる。そして病院側も、これを根拠に「保険は使えません」として、お高い自由診療をしてくる訳である。

だが、これは真っ赤な嘘である。本当は、交通事故による負傷についても健康保険を使用した診療が可能なのである。実際のところ、昭和43年には当時の厚生省が医療機関等に対して、自動車事故でも保険給付が受けられる方法があることを積極的に被保険者に知らせるよう、通達を行っている。世の多くの病院は、この通達と全く逆のことをしている訳だ。

交通事故による負傷の治療に健康保険を使用するには「第三者行為災害の届出」を行うだけで良い。実に簡単である。社会保険に加入されている方であれば会社の総務担当部署、国民健康保険に加入されている方であれば最寄りの役所の保険の窓口に置いてあるはずなので、それに必要事項を記入して提出すれば手続きは終り。これにより保険診療となり被害者側は一時的な自己負担額が減る。なお、国保なり社保なりが負担した分については別途保険会社から填補されることになる。

病院側には「第三者行為災害の届出は行っている」と言えば健康保険を使用した診療を受けられる。事故直後で届出をしていない場合は、「速やかに第三者行為災害の届出を行うので健康保険で診療してください」と言えば、大抵の場合は健康保険を使用した診療になるそうだ。

さて、少年が担ぎ込まれたS大病院では、保険会社の担当者が来るまで、やはり保険診療ではなく自由診療を行っていた。担当者が直接事務長に掛け合ってようやく保険診療で取り扱うことを受け入れたようだが、担当者の話(というかボヤき)によると、横浜市内の病院でも新横浜の労災病院などでは交通事故の患者であっても最初から保険診療を念頭に置いた診療をしてくれるそうであり、そんな細かなところからも個々の病院の体質を知ることができるそうだ。

それでは、何故、病院という組織が保険診療を嫌い自由診療をしたがるのか。それは、平たく言えば自由診療の方が保険診療より圧倒的に「儲かるから」である。

ご存知の通り、病院組織では、診療・投薬等のサービスが「保険点数」により計算される。何らかの診療を行えば○○点、手術をしたから○○○点、投薬が○○点、という具合に加算され、点数に応じて診療報酬が算出される訳である。

保険診療の場合、1点あたりの金額は10円ということで固定されており、診療内容のチェックも厳しい。これに対し自由診療の場合、1点あたりの金額は自由に設定でき、どんな診療を施しても良い訳である。仮に同じ診療を施したとしても、一般的な自由診療における1点あたりの金額である20円で保険診療と比較すると、単純に考えても診療報酬は倍額となる。実際には保険診療ではできない診療を行うから、もっと高額になるだろう。そして、病院組織としてはその方が儲かるため、交通事故の患者を見ると「保険は使えない」という嘘八百を並べ立てて自由診療にするのである。

言わば、患者という「客」の無知を逆手に取って暴利を貪る訳だ。これは、何であっても相手の無知に乗じて暴利を貪ることを忌み嫌う増田剛三の信念と真っ向から相反するものである。

院長などが巨額の診療報酬の不正請求のために詐欺容疑で逮捕、起訴されるという事件はしばしば発生する。だが、そうした事件とこうした交通事故患者に対する詐欺まがいの自由診療の罠と、何が違うというのだろうか。どちらも「医療関係者の過度の利潤追求」という共通の病巣に根差している同じようなもののように思えるのは、私だけではあるまい。

患者やその関係者のことを考えず、ただひたすら自らの利益のみを考える。それが現在の日本の医学界の現状、実態なのだろうか。医療関係者や医者を志す学生諸氏もこのページを読んでおられるかも知れないが、是非とも問いたいものである。


■ 9. 終わる事件


事故の発生、そしてその直後の話については、概ね以上である。ここからは、「事件の後始末」に関する話について、記憶の範囲で簡単に述べてみたい。

まず、被害者であるが、結局2か月少々入院されていたように記憶している。私がお見舞いに出向いたのは確か5回程度。少ないと思われる向きもあるかとは思うが、一般病棟に移ってからはなかなか複数回赴くような雰囲気にもならなかったというのが実情である。左様ご了解戴きたい。

最初に被害者少年の傍まで行って見舞うことができたのは、確か保険会社の担当者と共に病院へ赴いた時だったはずである。当時、少年は睡眠中であり、顔を見ることしかできなかった。過失割合の問題、結局のところどちらが悪いという問題は別として、この少年がここで病床についているのは紛れもなく私と起こした事故の所為である。そう考えると、内心考えさせられる処もあり、就寝している少年にそっとアタマを下げざるを得なかった。ご両親から伺った話によれば、事故当時の記憶が全く無いそうで、ある意味、苦痛の記憶が少なくなる分、不幸中の幸いと言えるかも知れない。そんな気がした。

被害者側との民事上の調整に関しては、全て保険会社に一任し、結果、示談という形となった。診療代、慰謝料、学業の休業補償等、先の過失割合に従って減算した額でも諸々合算で200万円を下らない金額が保険会社からの明細に記載されていたことを記憶している。原付や二輪車で任意保険に加入していない方が本稿を読まれていたとすれば、考えを改めて戴きたいものだ。

次に、行政上のペナルティの話について。実は、流石に免許取消しは無いにしても、人身事故扱いということで相応の点数が差し引かれ、ある程度の免停になることは覚悟していた。しかし、結論から言えば何らのお咎めもなく、私に免停歴がつくことは無かった。ヤブヘビになることを恐れ敢えて港北警察署等に照会することはしなかったが、恐らくは、警察としては被害者側の過失割合が大きい事件と判断し、加害者側とはいえ過失割合が低い私は、反省もしていることであるし不問に処すことにしたのではないだろうか。

何かの間違いであれば事後何かあるだろうが、その後、公安委員会直属の試験場で洗礼を受けつつ私の運転免許証がどのような変遷を遂げたのか、それはこのサイトに掲載されている通りである。

最後に、刑事上の処分について。事故発生当時、私は19歳9か月だった為、家庭裁判所のご厄介となることとなった。家庭裁判所に関しては過去中学・高校の頃に別件(民法第4編関係……)でお邪魔したこともあったのだが、今回は少年審判である。再び親同伴の上、指定された期日に出向き、職員(何官なのかは失念した)と事故当時の写真などを見ながら過失割合の話や反省の度合いなどを率直に会話した記憶がある。最終的には、同じような者ばかり30名ほど講義室のようなところに集められ、裁判官のおば様から「皆さんは不処分です」とのお言葉を戴き、解放と相成った。

その後の私であるが、交通事故に懲り、或いは怯え、運転から遠ざかるということは全くなかった。事故で故障した原付は直ちに修理し、2年後の1998年8月にエンジンが壊れるまで、本件事故当時の走行距離の倍以上となる27,883kmを走破した。さらにスカイウェイブに乗り換え、こちらは約2年半で50,000km弱を走り抜けた。その後も運転免許証をフルビット化するなど縦横無尽に動き、今日に至っている。


■ おわりに


まず、軽微な事故を起こしたことがある多くの方に申し上げたい。

交通事故をどのように捉えるのか、それは各人各様である。殊に、私同様、交通事故を起こす側に立たされた場合、中には以後一切「運転」から遠ざかってしまう人も多々存在する。程度の差もあろうし、そうした判断を一概に否定するつもりはない。が、自ら「運転」することにより得られる利便性や価値は、安易に放棄して良いものではないと私は信じたい。「事故ったから運転しない」という逃げを打つのではなく、何故事故に至ったのか自ら考え、以後再び事故を起こさぬ様、徹底的に昇華し、ハンドルを握り続ける。難しい選択肢かも知れないが、運転免許を手にしている者の真に前向きな態度とは本来かくあるべきであるし、できないのであれば身分証代わりなどと言わず、運転免許証の返納手続きをとるべきである。

変な言い方となるが、上には上がいる。瑣末な結果にいつまでも拘泥して引きずられ続けるのではなく、上手に気持ちを切替え、せっかく手にした運転免許なのだから積極的に活用し続けていって戴きたい。それが、軽微な事故で運転から遠ざかっている多くの人々に対する私のメッセージである。

# まあ練習やPD教習は必須であるし、私に掛かると「二種を取り証明せよ!」となる訳だが。

次に、免許の有無に係わらず全ての方に申し上げたい。

お読み戴ければご理解戴けたかとは思うが、私が経験した事故は、結果論として言えば、死人が出る等の重大なものではない。だからこそこのように詳細な体験談をまとめることができる訳だが、さらに重大な事故の加害者側の体験談(手記)をお読みになりたい方は、各試験場・免許センター・警察署・交通安全協会などで配布されている『贖い(あがない)の日々』という冊子を手にされることをお勧めする。ご存知の方も多いかとは思うが、『贖い(あがない)の日々』は交通刑務所の受刑者が綴った手記である。なお、インターネット上でも一部を読めるサイトが存在するので、参考までにリンクを張っておく。

贖い(あがない)の日々

多少砕けた感じでも、交通事故に関する加害者側の率直な話をさらに読みたいという方は、2ちゃんねる車板の過去ログ倉庫に以下のようなスレッドが存在しているので、こちらもお読み戴きたい。

【事故】人をひいたら人生どうなる?【人生】
【事故】人をひいたら人生どうなる? PART2【人生】

また、同じ2ちゃんねるの別板の過去ログ倉庫に、以下のようなスレッドも存在している。交通事故に関する記述も比較的多く見られるので、適宜ご参照戴きたい。

目の前で見た人の死の瞬間を教えて

この体験談を含め、交通事故に関するこうした文章を読んで戴き、一人でも多くの方に交通事故について考えて戴ければ、これに勝る幸いはない。この体験談がその一助となれば何よりである。





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