運転免許取得記 二俣川フルビット物語 〜運転免許完全取得への道〜


 普通自動車第一種免許編

■ 経緯


普通免許の取得を思い立ち行動に移したのは、確か1997年の夏のことだったと思います。当時の私は、確か某N社にたまに出入りしつつ、ゆうメイト稼業に勤しみ、また中学・高校の同窓会組織である邦友会活動にも精を出し、インターネット環境はIMASYでダイアルアップ接続、というまったりとした生活を送っていたはずです。……現存する当時のメールを読み返す限りは。(^-^ヾ

正直なところ、当時の記憶というものがかなりうっすらぼんやりとしたものになっています。27歳なのに20歳当時の記憶が既に曖昧模糊たるものになっているという事実には自分自身に対して呆れる次第ですが、まあ已むを得ますまい。この為、運転免許を取り扱ったサイトであるにも拘らず、誰でも取得する普通免許に関し当時の記憶を辿りながらのお話しか出来ないこと、予めお詫び申し上げます。

取得の動機は、確か暇だったからではないかと。(苦笑) また、当時は原付・小特・普通二輪を所持していた訳ですが、確か普通二輪(厳密には前身の自動二輪中型限定)の取得の直後に教習体系を含む免許制度の改正があった筈です。オートバイ専門誌で仕入れた情報を活用し、制度改正の前に中免、後に普免を取得することで、当時考え得る最安取得コースを歩んだ記憶が御座います。

# 当時からそういう細かい制度の隙間を突っつくのが大好きだったようで。(・∀・)

当時は試験場での直接取得を考えなかったのか?という点ですが、実は考え、実行にも移しました。結局は玉砕した訳ですが、その顛末につきましては後述します。お楽しみに……。


■ 教習所入校


取り敢えず、何も考えずにコヤマドライビングスクール綱島に入校しました。1997年7月に東横線の大倉山から白楽へ転居していましたが、幸い原付を使えば10分程で着く距離であること、また中免で御世話になっていたので所内のコースや教習所のシステムも把握していたことから、特に迷いはしませんでした。

当時は、既にMTとATを選択出来る時代でしたが、私は躊躇することなくマニュアルを選択しました。バイクの免許を取得した直後でイケイケ気分だったこともありますが、それ以上に「AT限定=女性向け」という固定観念が強く、そんなものは増田剛三として取り組めないとの判断があった模様です。

# ちなみにコヤマの教習車は、似たような配色でも塗り位置の違いでATかMTか一目瞭然なのです。

本稿執筆時点で普通車の教習は2段階制度のようですが、私が取得した時は4段階制度でした。最初にカートレがあったかどうかは失念していますが、確かあったかと。シミュレータは無かった筈です。無線教習はありました。4段階制度で教習時限数がどの程度だったのかはデータが手許にありませんが、確か現在と同じか少し少ない程度で、取り敢えずストレートで卒業まで抜けられたことは記憶しています。

学科は、普通二輪所持の為、原則ありませんでした。というか、従来中免を所持していても普免では再び学科が必須だったところ、制度変更により受けずに済むようになったことを受けて入校しています。(^-^ヾ

実際に技能教習がスタートしてからですが、流石に最初の3時限程度はエンストこきまくり&クラッチから香ばしいニオイを漂わせまくりだったものの、実質ぷー太郎さんなだけに比較的コンスタントに教習をこなしていくことが出来た為か、或いは原付とは言え日常かなり走り込んでいた(事故歴まであったし……)為か、特にどこかで躓くということもなく、至って順調に推移しました。

そして、あまりに順調だった為、悪い虫が目を覚ますことになりました。。。( ̄ー ̄) ニヤリッ


■ 試験場への挑戦


「試験場で直接取ると早くて安く上がるらしい」という話は、実は1995年、大学の同輩から聞いて把握していました。今にして思えば、大学(校旗が広島カープと同じところです)の所在地周辺を管轄する府中試験場と自分の住所を管轄する二俣川試験場の難易度の差や、非公認・特定届出などの教習所の存在など色々と考える材料もあるのですが、当時は「早くて安くて(゚д゚)ウマー」という牛丼的論理でした。

そして。あまりに順調に所内の教習が推移していることで調子に乗った私は、「今からでも試験場で直接取得してしまえば教習代を少し取り戻せるかも♪」などと不埒にも考え、二俣川に乗り込みました。

事務手続きの詳細は記憶していませんが、確か学科試験は免除でした。技能試験が当日だったのか後日指定日だったのかは本格的に失念しており何とも言えません。それはさておき、技能試験の模様をば。

その日は、確か初秋のシトシトとした雨が降る、少し湿り気の多い日でした。仮免技能試験なので当然場内なのですが、それでも、雨の水滴その他を考えると少し憂鬱になったことを記憶しています。

試験車が何だったのか、記憶に御座いません。クルーだったような気もしますし、セドリックだったような気もします。ともかく運転席に乗り込み、現在と同じような要領で人定の後、きちっと確認して発進!

ズコンッ!

……。いきなりエンスト。何だこの教習所の車とはあまりに違うクラッチは……、と思いつつ、気を取り直して再発進。ウィンッ♪……今度はなかなかの鋭い加速。つーか、チョロQを彷彿とさせる急発進。(をぃ) わざとらしくクビをシートに押し付ける試験官が忌々しく思えたりして。(^-^ヾ

# 余談だがこの時の試験官、大型二種の時のW辺さんだったかも。……だとしたら因果めいていますね。

試験場ではメリハリだ!という話は聞いていたので、元気良く加速!そのまま高速カーブへ!

試験官 「はい、じゃあ試験中止ね。経路は指示しますから発着所へ帰りませう。(-_-)」

……うむ。今の私ではおよそ考えられないことだが、「高速カーブ」に思えて突撃したのは、実は大特の方向変換場の横なんだよね。内回りは当然「徐行」の標識が出ています。見落とした、というか知らなかったんですね、当時は。発着所に戻る途中に試験官に言われて初めて気が付きました。というか、既にズタボロになっていて、発着所へ戻る途中にも確かエンストこいたし。もう、目も当てられない。

試験終了後は今と同様、技能窓口での試験官との書類のやり取りとなる訳ですが、その日、あまりにズタズタになった私は、書類のやり取りもせず発着所からそのまま帰宅の途につきました……。心境は、言うまでもなく「もう二度と試験場での直接受験なんてするもんかい!(;_;)」です。

こんな奴が、後に試験場に入り浸った挙句フルビットになってしまう訳ですから、世の中不思議です。まあ後のフルビッターも、こういう辛酸を舐めさせられた時代はあった、ということで。(^-^ヾ


■ 教習所卒業


二俣川で凄まじい洗礼を受けた私は、その後、実に大人しく教習所へ通いました。(笑) 修了検定にも難なくパスして仮免をもらい、さっさと路上教習へ。

コヤマの綱島なので、今も昔も所内コースから外に出る為には土手の坂道を上がりヘアピンを曲がり対面通行の細いガード下の道を抜け綱島街道へ出る必要があります。普通車なので反対側の太尾堤方面へ抜けることもあったのですが、それでもやはりガード下を通ることの方が多く、当時の私はその幅のあまりの狭さにビビリまくり、大型一種のトラックなどを見ると単純にすげーと思えたものです。

# 後にここで、そのトラックより二回りほど大きなバスを鼻歌交じりで転がすことになる訳ですが。(^-^ヾ

路上教習もストレートで、楽しかったことを記憶しています。何しろ、コヤマの綱島のコースの殆どは、我が母校である師岡小学校の学区であり、またその当時の自転車野郎・増田少年の版図です。そこを自動車で走っているという事実は、やはり楽しいものでして。(^-^) 「んー、思い出の公園が右手にあるな」「ここを入っていくと○○の家があったところで」「おお我が古巣が」「最近打ちっ放し行ってないな〜」「アルベリが〜」「まだ花屋やっているな」……などなど。それぞれ何処だか全部分かったら褒めて取らす。(笑)

今はどうだか知りませんが、当時は4段階目に高速教習をやった気がします。今はコヤマの高速教習と言えばBMWですが、当時は普通にランサーで行っていました。教習生2名と指導員1名で行くのは今と同様です。ルートは、往路が新横浜経由で環状2号線(当時はまだ高架工事中だった)で羽沢まで行き羽沢から第三京浜に上がって玉川まで。復路が玉川から第三京浜で港北まで来て教習所へ。私は往路でした。もともと原付でスッ飛ばす方だったのでスピードに対する恐怖感は無く、問題なく終了。玉川の入口手前の自販機のところで教習生が交替する際、指導員の先生(確か女性、大型一種で御世話になった方と同一人物かも)から缶ジュースをおごってもらった記憶があります。(^-^)

某N社にヘルプデスクとして常駐で入ったりしていた為、卒業検定は少し遅れて冬になりましたが、それでも一度も引っ掛かることなく最後までストレートで卒業することが出来ました。


■ 免許証交付


これは確かな記憶ですが、交付当日、私は非常の決意を以て常駐先を欠勤し、二俣川へ赴いていた筈です。某N社ではなく、中間に介在している会社との間に一悶着ありまして……それはさておき。

午前中に二俣川へ行き、学科免除ということもあって11時前頃には免許証発行が為され、徒歩で帰路についた記憶があります。また、現在のサイズの免許証を初めて交付されたのも確かこの時だったかと。

ちなみに当時の勤務先とのゴタゴタについては、その日の夜、横浜中央郵便局から契約解除通知の内容証明を飛ばすという尋常ならざる終局を迎えております。嫌な21歳ですね〜。(苦笑)


■ 取得費用

項目 費用 備考
二俣川試験料(貸車料込み?) 1回 \3,700 記憶が怪しいがこんなもんかと。玉砕代。
コヤマ入校時必要金 1回 \80,640 \10,500値引き済みの金額。
パパルカード発行料 1枚 \1,050 所内のIDカードです。
写真代 1回 \1,050 原簿、申請書などに貼付される。
仮免許証申請交付料 1回 \3,150 全て教習所任せ。
技能教習料金 32h \140,800 @\4,400です。概ね相場かと。
技能検定料金 2回 \12,600 @\6,300で、修検・卒検の2回分。
高速料金(羽沢〜玉川) 1回 \200 今気付いたけど復路より\50高い。
卒業証明書発行料 1枚 \5,250  
適性試験手数料 1回 \2,000 試験場。
免許証交付手数料 1回 \1,800 試験場。
合計   \252,240 普通二輪免持ちは強いですな。(^-^ヾ





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